朝の光は静かに差し込んでいた。昨日までの雨が嘘のように、街は柔らかな日差しで満たされている。しかし、トモユキの心は穏やかではなかった。目覚めると同時に、あの少年の影と父の手紙が脳裏を駆け巡り、まるで眠りの中でささやかれた問いかけに答えなければならないかのような気持ちになる。
ベッドから起き上がり、窓を開ける。冷たい朝の風が髪をかすかに揺らす。前髪の後退や頭頂部の薄さが、太陽の光にさらされることで、昨日よりも鮮明に見える。しかし、恐怖ではなく、むしろ観察の対象として自分を見つめる冷静さが芽生えていた。
トモユキは台所に向かい、コーヒーを淹れる。湯気が立ち上るカップを手に取り、思考を整理しようとするが、浮かんでくるのは写真の少年の影と父の秘密に関する問いだった。
“あの少年は誰なのか? 父はなぜこんな写真を残したのか?”
疑問は過去の記憶と結びつき、彼の心に複雑な感情を巻き起こす。幼少期、父はいつも髪型を整えながら静かに言葉を選んで話していた。しかし、家族のアルバムに残る影は、父の口からは決して語られなかった。
トモユキはそのことを思い出す。小学校低学年の頃、父の髪の薄さが気になって、無意識に自分の頭を触っていたことがあった。父はその時、ただ笑って手を差し伸べるだけだったが、その笑顔の裏には、言葉にできない覚悟や思いが隠されていたのかもしれない。
コーヒーを飲み干した後、トモユキはアルバムを手に取り、写真の中の少年の影に視線を集中させる。すると、昨日とは異なる何かを感じる。少年の姿勢や目線、影の角度が微妙に変化して見え、まるで彼に何かを伝えようとしているかのようだ。
“これはただの偶然ではない。”
その瞬間、胸の奥に小さな決意が芽生える。トモユキは自分の心を深く掘り下げ、薄毛への恐怖や恥ずかしさを乗り越え、真実に向き合おうとする。
午前中、トモユキは街を歩きながら、父の若い頃の記録や写真を整理するため、図書館へ向かう。歩道を行き交う人々の視線や表情が、自然に彼の注意を引く。薄毛のラインや前髪の後退が、時折自分の心を刺激するが、今日は以前のように恐怖に支配されることはない。むしろ、鏡の前で自分を観察するように、冷静に受け止めることができる。
図書館では、父の古い日記や地元新聞の古い記事を手に取り、写真の少年との関連を調べ始める。記録の中には、父が青年時代に書き残した短いメモがあり、そこにはこう記されていた。
> 影を恐れず、真実を見つめろ。
トモユキは息を呑む。まさに今、自分が直面している問いそのものではないか。薄毛の恐怖も、写真の少年の正体も、すべて“真実”として受け止める必要があるのだ。
午後、トモユキは偶然にも街のカフェで、あの少年に似た青年と遭遇する。青年は落ち着いた表情で、カウンター席に座って本を読んでいた。目が合った瞬間、二人の間に何か目に見えない結びつきが生まれたように感じる。
“あの写真の影は、彼なのか?”
恐る恐る話しかけようとした瞬間、青年は微笑み、軽く会釈した。その表情は、写真の中の少年が持つ不安と希望を同時に映し出すようだった。トモユキは胸の奥で、薄毛のことを忘れるほどの驚きと緊張を覚える。
家に戻ると、夕暮れの光が部屋を橙色に染める。アルバムを再び開き、写真の影と向き合うトモユキ。過去の回想が次々と脳内に浮かぶ。父の若い頃の悩み、母の微笑み、幼少期の孤独な日々、そして中学時代の体育館での羞恥心――すべてが、今の自分と絡み合い、一つの線として繋がっていく。
薄毛への葛藤は、単なる外見の問題ではなく、自己認識や自信を育むための試練であることを、改めて理解する。
夜、トモユキはベッドに横たわりながら、写真の少年を思い浮かべる。少年の影は、自分の心の一部であり、父の遺したメッセージであり、薄毛の悩みを乗り越えるための象徴でもある。
風が窓を揺らし、部屋に静かな音を運ぶ。その音は、父の声のようでもあり、少年の存在のようでもあり、トモユキの心に深く染み込む。
“俺は、真実に向き合う。”
薄毛も過去も未来も、すべてを受け入れた上で、自分自身を成長させるための道を歩む覚悟が、彼の胸に確かに芽生えた。
翌朝、トモユキは再びカフェへ向かう。昨日の青年と再会するためではなく、自分自身の心の状態を確かめるためだ。街の風は冷たく、髪を揺らす。鏡に映る自分の頭皮や薄毛は、恐怖ではなく、観察と受容の対象となっている。
そして、カフェの窓越しに、再びあの青年が座っているのを見つける。視線が合い、二人の間に静かな理解が生まれる。少年の影の正体は、ただの過去の記憶ではなく、自分自身と向き合うための鏡であり、父の知恵の象徴でもあったのだ。
アルバムを抱えたまま、トモユキは静かに心の中でつぶやく。
“薄毛は恐怖じゃない。影は恐怖じゃない。真実を受け入れれば、すべてが次の一歩になる。”
風が再び吹き込み、髪を軽く撫でる。写真の少年、父の声、街の風――すべてが彼を次の成長へと導いていることを、心の奥底で感じる。
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