翌朝、
トモユキは、
自分の席が少しだけ空いていることに気づいた。
物理的には、何も変わっていない。
机の位置も、椅子も、書類も。
だが――
空気が違った。
「おはようございます」
声をかける。
返ってくるのは、
遅れた返事か、
目を合わせない会釈。
それだけで、
十分だった。
――来た。
トモユキは、
心のどこかで、
予期していた。
言った人間は、
面倒な人間になる。
それが、
この場所のルールだ。
コピー機の前。
昨日まで隣に立っていた同僚が、
自然な動作で、
一歩、距離を取る。
理由は、説明されない。
説明されないからこそ、
否定も、反論も、できない。
〈回想:新人時代〉
入社三年目。
トモユキは、
上司の理不尽な叱責に、
初めて異を唱えた。
「それは、僕の責任ではありません」
その日から、
飲み会に呼ばれなくなった。
評価は、
「協調性に欠ける」。
同じ感覚が、
今、
肌に張りついている。
昼休み。
ユウタから、メッセージが届く。
> 兄貴
> 大丈夫ですか
トモユキは、
しばらく考え、
短く返した。
> 大丈夫だよ
――嘘だ。
だが、
今は、それでいい。
午後。
会議室。
意見を求められる。
トモユキは、
いつも通り、
正確に答えた。
だが、
誰も、深掘りしない。
触れない。
それが、
新しい距離感だった。
帰り道。
駅のホームで、
ガラスに映る自分を見る。
照明の下。
容赦のない角度。
――薄い。
変わらない。
何も、変わっていない。
それなのに。
「……言っちゃったな」
声に出す。
小さく、
自分にだけ聞こえる声。
そのとき、
隣に立っていた中年の男が、
ふっと笑った。
「分かりますよ」
トモユキは、
驚いて顔を上げる。
男は、
自分の頭を、軽く指した。
「言うと、楽になるけど」
一拍置く。
「代わりに、
ちょっと、孤独になりますよね」
電車が来る。
男は、
それ以上、何も言わず、
人波に消えた。
トモユキは、
胸の奥が、
じんわりと熱くなるのを感じた。
――ああ。
――世界には、
同じ地点に立った人間がいる。
それだけで、
救いだった。
夜。
美香から、電話。
「ねえ」
声が、少し低い。
「トモユキ、
今日、何かあったでしょ」
隠せない。
トモユキは、
ゆっくりと話した。
職場の空気。
距離。
静かな孤立。
「……それでも」
美香が言う。
「後悔してる?」
トモユキは、
答えに迷った。
正直に言えば、
怖い。
だが。
「してない」
そう、答えた。
沈黙。
そして、美香が、
静かに言った。
「それなら、
その孤独は、
意味がある」
電話を切ったあと、
トモユキは、
窓を開けた。
夜風が、
髪を揺らす。
怖い。
だが、
もう、目を逸らさない。
ふと、思う。
――この孤独は、
どこへ続いている?
答えは、
まだ、ない。
だが、
一つだけ、分かることがある。
もう、
黙る側には戻れない。
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