1. 新しい自分への期待
その週の月曜日、トモユキは美容院の椅子に座っていた。
美容師の手は確かなリズムで彼の髪を刈り込み、絶妙な長さで頭頂部の薄さを目立たなくしていく。
「このスタイルなら、自然に見えますよ。お仕事にも合うと思います」
そう言われて、トモユキは鏡の中の自分をじっと見つめた。
鏡に映る彼の姿は、ここ数年で最も爽やかに見えた。
薄毛を気にして下を向いていた彼が、今はやや上を向いている。
気分は悪くなかった。
美容院を出ると、空は高く晴れていて、秋の風が爽やかに吹いていた。
通勤の足取りは軽く、どこか自分に自信が宿った気がしていた。
2. 街の視線
昼休み、いつもより少し遠くのコンビニに寄ることにした。
ビルの谷間を抜ける風が肌を刺し、ジャケットの襟を立てる。
その瞬間、トモユキの髪が風に揺れ、刈り込んだはずの頭頂部がふわりと舞った。
レジの列に並んでいると、後ろの女子高生二人の囁き声が聞こえた。
「ねえ、見てよ」「うん…あれ、上、どうなってるんだろ」
声は小さくても、言葉の意味ははっきりわかった。
トモユキはハッとした。
頭頂部に不安がよぎり、顔が熱くなる。
ちらりと振り返ると、女子高生たちはスマホを手に笑い合っている。
その笑い声が、自分に向けられていると錯覚した。
3. 心のざわめき
コンビニを出て歩きながら、トモユキの心はざわついた。
“せっかく自信を持てたのに、やっぱり見られている…”
彼は両手で頭を撫で、風で乱れた髪を必死に整えようとした。
その日の午後、会議中も集中できなかった。
資料に目を落とすが、脳裏には防犯カメラに映った自分の薄い頭の映像が浮かぶ。
そして女子高生たちの声が耳の奥で繰り返された。
周囲の同僚が笑ったり話しかけたりする声が遠く、まるで水中にいるように聞こえた。
「どうした?」
突然、隣の席の先輩が声をかけた。
「ああ、いや、ちょっと考え事を…」
言葉に詰まりながらも、トモユキは曖昧に答えた。
4. 夜の公園
その夜、美香と約束した公園は、いつもよりひんやりとしていた。
街灯の光が淡く地面を照らし、風が落ち葉をさらさらと踊らせている。
美香は遅れて現れ、髪をきつく結んでいた。
「どうしたの? 元気なさそう」
トモユキは俯き、言葉を飲み込んだ。
話題を変えようと口を開くが、自然と頭の話になった。
「実は、今日…外で、ちょっと嫌なことがあって」
「どんな?」
彼は女子高生の囁きと、それに伴う視線の重さを打ち明けた。
美香はじっと聞き入り、ふと公園の奥を見た。
そこには、あの赤いネクタイの男が立っていた。
5. 視線の重さ
赤いネクタイの男は、遠くからじっと二人を見つめているようだった。
トモユキはキャップを深く被り直した。
「怖いな…」
「あなたが気づいてないだけで、ずっと見てるのよ」
風が強まり、落ち葉が舞い上がる。
男の口元がわずかに吊り上がったように見えた。
トモユキは震える手でキャップのツバを押さえた。
風が彼の自信を、無情にも吹き飛ばしたのだ。
6. さざめく心
帰り道、トモユキの頭の中は渦巻いていた。
“自分の髪は本当に見られているのか?”
“赤いネクタイの男は、俺の薄毛に関係があるのか?”
“もしあの視線が自分の髪のことなら、もう逃げられないのかもしれない”
しかし、心の奥底には小さな火種が残っていた。
“でも、もしかしたら…見られているのは髪じゃなくて、俺自身かもしれない”
それはまだ小さな一歩だった。
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